「おばちゃん」の訃報 

子供のころに大変お世話になった「おばちゃん」が亡くなりました
娘さんからお知らせがあり97歳だったとの事
聞いた瞬間に時が巻き戻って
小学性の私になってしまいました

おばちゃんとの思い出

私が小学校2年生の時、
父親の会社が倒産して大変なことになりました
母と幼い弟は母の実家に身を寄せることになり
父親は残務整理で修羅場
私は小学校2年生だったので
学校があるということで
「おばちゃん」の家に預かってもらうことになったのです

私は2か月くらい「おばちゃん」の家から学校へ行き
「おばちゃん」の家族みたいに一緒に暮らしていました
おばちゃんの旦那さんも
おばちゃんの子どもも
みんな私に優しくしてくれました
ご家族みんな優しくて・・・・
ただの知り合いの子ども
赤の他人を2か月も預かってくれて
今思うとすごい事だなとつくづく思います  

おばちゃんの子どもは3人いて
長女は就職して家を出て
長男は高校生のお兄ちゃん
末っ子は中学1年生のお姉ちゃん

このお姉ちゃんがとっても良くしてくれました
いつも一緒にいてくれて
気にかけてくれて
遊んでくれたな・・・・

今思うと年齢差があったのに子供の面倒なんて
大変だったろうな・・・  

それなのに私は母親恋しさに隠れてトイレとかで泣いてた
そんな私を見つけては
「おばちゃん」が優しく慰めてくれたっけ・・・

母は当時体が弱かったので
親戚や友人のいない場所での子育て育児で精神を病み
当時家政婦としてお手伝いに来てくれた「おばちゃん」と知り合ったそう
母が大変な時によりそってくれて
それから仲良くなったみたいでした

  

引っ越しで疎遠に

私は中学になるタイミングで引っ越しました
それは突然で
父親ががんになってしまったため
母の実家のそばに引っ越したのです

それからしばらくして父親は亡くなり
母はひとりで私と弟を養うため
毎日必死で働く日々
体が弱かった母は大変だったと思います

そんなこんなで「おばちゃん」とは疎遠になっていきました

その後おばちゃんに会ったのは2度

それきりになったのですが
私が長女を産んですぐのころ、
おばちゃんが所用を兼ねて会いに来てくれたことがありました
私も母も会えてうれしかったな
おばちゃんはママになった私に感慨深そうでした

それからまた会うこともなく日々過ぎて・・・ 

6年前にふと母が思い立って
自分が生きて元気でいる間に「おばちゃん」に会いたいといいました
ちょうど子育てが一段落した時期だったので
思い立ったが吉日!
さっそく私と一緒に会いに行きました
よく遊んでくれたお姉ちゃんもいてくれて
とても懐かしかったな
いろんな思い出話に花が咲きました

あの時行って本当によかった

今思うと、おばちゃんに会ったのはこれが最後でした
母とともに
あの時「おばちゃん」に会っておいて
ホントに良かったね
って言い合いました

おばちゃんのお葬式は家族葬で既に済ませたとの事
おばちゃんが数年前に施設に入居するタイミングで
住んでいた家も処分したので
今はもうないそう・・・・
私たちを気遣ってくれてのお知らせでした

満州からの引き上げ孤児だったおばちゃん
ずっと働き続けた人生
あったかい家庭を築いて家族に恵まれ
他人にもやさしさの手を差し伸べてくれたおばちゃん

おねえちゃん(私とよく遊んでくれた末娘の方)
「最後お骨になったとき、年齢のわりに頑丈で立派な骨です」
みたいなこと言われたのよ~
きょうだいで笑っちゃったの~
最後まで明るくて子供たちを笑わせてくれたみたいです

雨にも負けず・・・宮沢賢治を思い出す

自分が亡くなったときに
ここまで人の心に残るような人間になれるか?
おそらくなれないだろう
私のような人間の方が多いと思う

そういう意味でも「おばちゃん」は偉大な人なのだと思う
有名人でも億万長者でもなく
先生と呼ばれる人でもなく

宮沢賢治の雨にも負けずのような
穏やかで強くてやさしい人なのだと思う


そういうものに私はなりたい
私もなれるだろうか
少なくともおばちゃんのことは決して忘れない

いろいろありがとうございました
ご冥福をお祈りします

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