も:もしも

家族だから困ったときは助け合う?


もしも、私が病気になったりしたら、
舅姑、小姑たちに頼ることがあるかもしれない。

もしも、私が突然のアクシデントや
困ったことがあったら助けてもらうこともあるかも。

私が頼ったり、助けられたりすることも、
長い人生のなかではあるかもしれない。

家族だからお互い様。
家族には親切に対応しよう。
と思っていました。

ちょっと甘かったかな?


助けたからと言って、助けてもらえると思ってはいけない。


結論からいっちゃうと
助けたからと言って、助けてもらえない。
親切にしたからと言って、親切にしてもらえない。
やさしくしたからと言って、やさしくしてもらえない。


身も蓋もないようですが、
そう思って接したほうが身のためです。

これには、舅姑たちの理由があって
若い者は、年長者や年寄を大切にする。
という思想。

たしかにそうですけど・・・^^;

若くたって、風邪もひくし
おなかも痛くなる。
病気もすれば、入院なんてこともある。
それを理解できないのです。

ひたすら若さは無敵と思っている。

「若いのにだらしない」とか
「若いのに風邪なんかひいて!うつさないでくれ!」とか、
平気で言うんです。

私がつわりがひどくて(体重8㎏減)入院したときは、
病室まできて私を大声でなじりました。

ああ、なんていう思い込み・・・・
家族間の信頼関係のかけらもない。
悲しいな。

「もしも」、は考えない!強く生きると決める。

だから、もしものことなんて考えるのはやめました。
どうせ、この人たちには頼れないし、助けてももらえない。
この人たちに助け合いなんて通用しない。

割り切ってしまうと日頃の関わりも、
心の中では適当です。
(露骨には出来ませんが)


人間として、悲しいのかな。私。


分かり合う努力をもっとしなくてはいけないのだろうか?
という考えも、時折、心をよぎります。

でも、現実は甘くない。分かり合えない人もいる。
自分の手に負えないときは「あきらめ」も大切なのです。

遠くの親せきより近くの他人。
もしも、の時は、舅姑以外のフォロー体制を確立していきましょう。

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