く:苦労 若い時の苦労は買ってでも?

「若いときの苦労は買ってでもしろ。」とよく言います。
それはその人の血となり肉となり、肥やしになり、人間的に成長する。

でも本当にそうなのでしょうか?

私は「苦労」とひとくちにいっても、「しなくてもよい苦労 」があるのだと思います。

毎日誰かにおびえながら、
自分自身を封印して、
誰かのいいなりになって、
結局疲れ果てて精神的に病んでしまう。

こんな苦労がいいわけありません。

でも同居生活の10数年はそれに気づかずに

「わたしだからこんな我慢もできるんだ。わたしってすごい
いつかきっといいこ とがある。」
と、
苦労を美化して、ひとり悲劇の主人公になっていたのかも しれません。

よくある共依存の関係・・・?

DVされた妻が、
「わたしだから我慢できるの。この人はわたしでなければだめなの。」
なんて、思っているのと似ているのかもしれません。


きっと、苦労というのは、
ひとつの道(職業とか芸術 など)を歩もうとしたとき、
それにまつわる試練や忍耐や
乗り 越えなければならない壁
みたいなものをさしているのではない でしょうか。

他には人生において降りかかった試練を乗り越えるとか。
これは、あくまでも私の解釈ですが。

そして、舅姑が「若いときの苦労は買ってでもしろ。」と言って、
自分の都合の良い状態をつくることが目的のことは、
舅のエゴが見え隠れしているように思います。

若いときの苦労はかってでも・・・・というのだから、
あなたも全て我慢しなさいと。


結局、がまんにがまんを重ねて苦労してきた私の同居嫁として の10数年は、
冷戦別居というカタチで休止しています。

こんなに苦労してきたんだから舅姑が私をわかってくれてもいいのに!
私の苦労はいったいなんだったの?と疲れてしまいます。

こんなことなら、もっと早く気づくべきだったと。

今のお嫁さんとしての苦労が、「しなくてもいい苦労」かどう か、
見極める目を養いましょう。

決して、進んで苦労をしょいこまないことです!


いつもにこにこハッピーがいいんです。
それが、旦那さんや子供達にも、そして自分自身にも、
イチバ ンなんですから!

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